光岡のコーティング
名古屋のコーティングはニシムラへ

光岡にオススメのコーティング「ファインラボ
光岡|名古屋のコーティングはニシムラ

テレビや雑誌、カーイベントで話題の進化系コーティング! 世界初の新技術”自己修復型”コーティングシステム

「FEYNLAB(ファインラボ)」

【FEYNLAB(ファインラボ)】というコーティングをご存知でしょうか?

【FEYNLAB(ファインラボ)】というコーティングをご存知でしょうか?

FEYNLAB(ファインラボ)は20年以上前に世界で初めて自動車専用セラミックコーティングを開発したアメリカの企業です。
長年の研究の成果で傷の”自己修復”というカーコートの理想形を実現した「ファインラボコーティングシステム」。
FEYNLAB(ファインラボ)は、コーティング自体の被膜に一定の温度の熱を加えて、ボディ小キズの自己修復を可能にした、画期的なセラミックコーティングです。

【施工難易度が極めて高いFEYNLAB(ファインラボ)】

【施工難易度が極めて高いFEYNLAB(ファインラボ)】

FEYNLAB(ファインラボ)は施工難易度の高いコーティング商品です。
指定された技術を習得し、高い知識を持つ認定プロショップのみが施工可能なコーティングです。
ニシムラは東海エリアでも数少ないFEYNLAB(ファインラボ)の認定プロショップです。

従来のコート剤では実現できなかった圧倒的な”自己修復性能”
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どうしても出来てしまう細かな傷にお悩みではないですか?

FEYNLAB(ファインラボ)は洗車キズなどの微細な傷を自己修復してくれます。
これまで沢山の方が悩まされてきた水滴シミや細かなキズの問題を解決することに成功したのが、セラミック含有のFEYNLAB(ファインラボ)コーティングです。
FEYNLAB(ファインラボ)を施工することで愛車を長期的に保護し、ボディ状態を常に良質な状態に保つ事が可能です。

加熱することで小キズが修復されます。
温度が下がってもキズが戻ることはありません。

(1) キズのない自動車塗装に

(2) ワイヤーブラシで傷をつけます。

(3) ヒートガンで熱を加えます。

(4) 小キズが徐々に消えていきます。

FEYNLABが独自に開発したナノセラミックテクノロジーをベースにスマートナノ粒子技術を合わせた新開発のテクノロジーで開発した「FEYNLAB HEAL TECHNOLOGY」。
セラミックチェーンの端にナノサイズのマグネットを結合させ記憶ポリマーを形成、形成された記憶ポリマーは、熱を加えることによって本来の形状に自己修復され、温度が下がっても修復された状態のまま維持されます。

※すべての傷が消えるわけではありません。
※当製品は傷が消えるのを保証する製品ではございません。

キズが自己修復する検証動画

“光沢性能”でもトップクラスのFEYNLAB(ファインラボ)
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キズを自己修復する事ともう一つ、圧倒的な”光沢感”も手に入れることができるのがFEYNLAB(ファインラボ)の特徴です。
光沢感は愛車の”ドレスアップ”に必要な要素だとお考えのオーナー様が多いと思います。
コーティングはそんな頻繁に行うものでないと思います。FEYNLAB(ファインラボ)が愛車を輝かせます。

FEYNLAB(ファインラボ)を
オススメしたい方

洗車キズに
お悩みの方

水滴シミに
お悩みの方

青空駐車場を
ご利用の方

濃紺車の方

FEYNLAB(ファインラボ)の
商品ラインアップ
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自己修復性能を持つFEYNLABのフラッグシップコーティング
  • 50℃の熱を加えることによって自己修復性能を発揮
  • 高い自己修復性能
  • 10~12ミクロンもの膜厚。
  • セラミック含有率50%
  • STEP1(2液性)+STEP2(2液性)+STEP3+TOP COATの計6液/4層構造。
  • より深い艶と高い透明性
  • 優れた疎水性能
  • 優れた耐薬品性能
  • 7年耐久
自己修復異能を持つHEAL SERIESのスタンダードタイプ
  • 50℃の熱を加えることによって自己修復性能を発揮
  • HEAL PLUS と比較して約60%の自己修復性能。
  • 3~4ミクロンの膜厚。
  • セラミック含有率50%
  • メイン層(HEAL LITE 層)+TOP COAT の2層構造。
  • すぐれた艶と透明性
  • 優れた疎水性能
  • 優れた耐薬品性能
  • 5年耐久

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光岡自動車は1968年に創業した自動車メーカーで中古車や輸入車のディーラーサービスも手掛けています。
創業者の光岡進は日野自動車のディーラーとして働いていましたが、最終的には日野自動車を退職して独立をします。
創業した当初は板金塗装や整備をするサービスを提供していましたが、他の地域から安価な中古車を仕入れて販売するビジネスモデルを展開していき、それが成長して会社の規模が大きくなりました。
その後社長の自動車への熱い思いが昂じて1979年に法人化してから開発部を設置して、昭和57年に「BUBUシャトル」を発売しました。
自社で開発した自動車だけでなくレプリカカーに興味を持つようになった光岡は1987年に「光岡・BUBUクラシックSSK」を発表しました。
その後もレプリカカーの光岡として名が知られるようになり2001年に参加基準が緩和されたこともあって東京モーターショーに出展しました。
そこでも独特なデザインが注目されて小さい会社ながらも要望を受けて市販化に繋がりました。
このように光岡自動車は車好きの社長の思いを形にして、他の日本の自動車メーカーにはないレプリカ市場を開拓していきました。
今でもオンリーワンの自動車メーカーとして人気があります。